本能寺の変は自作自演⁉︎

本能寺の変には黒幕がいた!?

どうも織田信長の生まれ変わり、だったらいいな、一条兼政です
今回は戦国時代の一大イベントとも言える、本能寺の変について
自分なりの仮説を立ててお話させていただきたいと思います
あくまでも事実確認などはしていませんので、ご了承ください
まず本能寺の変とは1582年に家臣の明智光秀の謀叛により
織田信長が討たれその波乱の人生の幕を閉じた一大事件です
この本能寺の変には諸説ありますが
わたくし一条が考える説はこちらです


1. 全ては織田信長の自作自演であった

と言いますのも、まず明智光秀が謀叛をする理由としてよく言われますのが
信長が光秀を目の敵にしていたという事、宿敵武田を滅ぼした際に富士山にて協力関係にあった徳川家康を持て成す際に明智光秀が用意した魚が腐っているとみんなの前にて罵倒し殴り飛ばすと言うことがあったり、長宗我部家へ織田家に属するよう説得していた光秀顔に泥を塗るかのように四国討伐の軍を他の者に命じる等色々と光秀を目の敵にするような行動が目立つ様になり不満を募らせて言ったとも言われています
ですが頭のキレる信長がこんな分かりやすい死亡フラグを自分で立てることが果たしてあるのか、そこに疑問をもつようになりました
信長はわざとみんなの前で光秀を目の敵にしてるような素振りを見せていたのではないか、
そしてそれはなんのためにしていたのか、それは信長がこれまでにしてきた残虐非道な行動が関係していると考えられます
延暦寺焼討ちなど数々の残虐な行動を起こして来た信長は
第六天魔王など言われていました
ですが信長がそう言う行いをしてきた背景には
頭のキレる信長らしい考えがあったからだと思います
それは天下統一目指し平和の世の中にするには綺麗事だけでは不可能であると
戦国の世の坊主は武器を持ち武士の様な行いをしていたお坊さんなどを
放置して置くと必ず邪魔になると分かっていた信長は
敢えて自分が必要悪となり平和の世にするのに邪魔な物を排除していたと考えられます
ですが世の中から第六天魔王などと言われている物が天下統一をしても
世の中は纏まらないとわかっている信長は
信頼できる家臣に平和の世の中にする最後の仕上げは任せ
自分は必要悪となることを選んだのだと
そしてその仕上げの段階にて邪魔になる自分やその嫡男である信忠を消すために
明智光秀に信長自身を消すように本人自ら命じた物だと考えます
その方法が自ら光秀に対しみんなの前で目の敵にし死亡フラグを立て
明智光秀が謀叛したと見せかけ、本能寺の変を起こさせ
信長や信忠を討たせました
ですが戦国の世に主殺しは重罪
そんな光秀に任せることは出来ないので
中国討伐をしていた豊臣秀吉に光秀を討たせて
秀吉に天下統一をさせるように命じたのではないか
その根拠としまして
光秀は忠義者であったと色々な書物に残っており
そう言った命令でも了承したのではないか
そして本能寺の変を起こしたが信長を殺めることは出来ない忠義者の光秀は
殺めることはせずそのまま信長を逃がし
亡くなったものとしたのではないか
そして幾ら京の都が信長の統治下で安全と云えど頭のキレる信長が
油断して僅かな兵のみで本能寺に宿泊など考えらるわけがありません
ですがそれが全て信長の命令であれば
信長の遺体が見つからなかったことや
信長が本能寺にて僅かな兵のみで宿泊していたことも
秀吉があたかも本能寺の変が起こるのが分かっていたかのような
準備の良さで中国大返しを成功させることができたのも
信長、光秀、秀吉で話しが出来て居たなら納得がいきます
そしてこのことは信長、光秀、秀吉、3人の極秘裏で進めていたのだと思われます
この信長の考えが他の家臣や諸大名に知られてしまうと
信長の考えを汲んでいるものに天下を与えたとあっては世の乱れに繋がりかねないと
分かっていた信長は敢えてその2人だけに命じ自分と嫡男を消し
信長の思惑通りに進んでいったものと思います

2. 秀吉の中国大返しについて
今までに話した内容がもしあっていれば
中国の毛利家を攻めていた秀吉が
中国大返しを成功させることができ
どの家臣よりも先に光秀討伐に迎えたことも
納得がいきます
それに秀吉は城攻めが得意と言われてましたが
幾ら秀吉といえど
本能寺の変が起きた事をうけすぐさま大返しできるわけがなく
そんなタイミングで和議が結べることは難しいことです
ですがはなから知らされていれば
城攻めの際に和議を結ぶタイミングを予想し
そのタイミングに合わせた戦略にて水攻めを行い
尚且つ誰にも信長の思惑がバレないようにできます
ちなみに本能寺の変の知らせうけ
秀吉はなりふり構わず泣きそれを黒田官兵衛がなだめ尚且つ
中国大返しを助言したと残されています
そしてその冷静な黒田官兵衛に恐怖を覚えたとも記録に残っています
知っていたならそんな泣かないだろうとも思いますが
秀吉は信長のおかげで農民から大名にまでのぼりつめており
幾らわかっていてもそんな信長が亡くなったことを聞いて
感じる物があったのだと思います

3. 明智光秀について
光秀は本能寺の変後に諸大名に光秀に付くように書状を出し足利幕府の再興を謀ったとも残っています
これらを見ると私の説に無理があるとも思いますが、
これもみんなを騙す光秀の演技と考えれば
そんな無茶な説では無いようにも思えます
それに明智光秀も頭の良い武将です
なんの勝算も無く勢いだけで謀叛をおこすなど考え難くいと思います

4. 最後に
これらの説はあくまでも
わたくし一、歴史好き一条の
勝手な思い込みによる
勝手な妄想です
なんの根拠もなく
なんの自信もございません
ですが歴史と言うのは
書物に書いてあるものだけが事実とは限らなく
その時の人物の感情などを考えながら
自分なりの説を考えることが
楽しみの一つと思います
書物は書いてる人の思惑や
情報操作が混じっていき
事実とは異なることも多く
勝てば正義
負ければ悪として書かれることも多いです
なぜなら勝って生き残った方の書物が
先の世に残り易いからです
なので書物だけが真実ではない
そして真実は本人達にしかわからない
これが歴史の面白さだと思います

最後までご覧頂きありがとうございました